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ハワイに生きる日系人~受け継がれる日本の心(横浜JICA)へ

前回は私の希望が尊重され、観たかった美術展に行ってきましたが、
今回は主人の希望を尊重し、横浜JICA(海外移住資料館)にて
開催中の「特別展示・ハワイに生きる日系人~受け継がれる日本
の心~」(~9月2日・日)へ行って参りました。
ちょうど昨年の今頃も、こちらに来たのですが、ハワイ好きな主人
にとりまして、ハワイの文化をより深く知る上で、こちらは、とても
勉強になるスポットの様です。
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同時上映されておりますドキュメンタリー映画「100年の鼓動
~ハワイに渡った福島太鼓~」は、ハワイで100年以上もの間
日系人に伝承され続けている和太鼓を通して、ハワイの日系人
の方々の歴史をたどることが出来、大変感動的でした。
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ハワイへの日本人の本格的集団移住が始まったのは
1885年(明治18年)。官約移民といって、サトウキビ畑等の
契約農民としての移住で、厳しい労働が待っていました。
そんな中にあって、努力を重ねやがて農業、漁業、商業等
多くの分野に進出できるようになった後に、真珠湾攻撃があり
ハワイでの日本人は敵国人となりました。ハワイで生まれ
育った2世は、日本の言葉と文化を受け継ぎつつ、アメリカの
教育を受けたアメリカ国籍を持っていました。が、戦時中は
差別を受け、アメリカ人としてのアイデンティティーとの
ギャップに苦しみました。

しかし、日系2世兵士部隊は、ヨーロッパ戦線で多数の死傷者を
出しながらも戦い抜き、アメリカ軍史上、もっとも多くの勲章を
受賞した部隊として賞賛されるに至ります。
こちらは、日系2世兵士部隊・第442連隊の日系兵士フィギュアです。
「Yoshi」、「Tak」の愛称が付けられ、最も困難な救出と言われた
「失われた大隊」(アメリカ兵)を救出した日系2世兵士部隊・
第442連隊へのリスペクトでしょうか。とはいえ、200人のアメリカ兵
を助ける為に、800名の命を失ったそうです
当時のトルーマン大統領は、「敵と戦っただけでなく、
偏見と戦い勝ったのです。」と彼らを賞賛しました。
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(アメリカ・オレゴン州の玩具店で売られていたものだそうです。)

こちらは、ハワイのお土産屋さん(最近は日本でも)で、よく目にする
マカデミアナッツ入りのチョコレートですが、こちらを考案したのは
マウイ島生まれの日系3世・滝谷守氏(1932~1988年)。
祖父は、官約移民として山口県岩国市からカウアイ島に渡り、
現地生まれの2世である父は、マウイ島で製氷業から起業し、
事業家となりました。守氏は、マカデミアナッツに注目し、250エーカーの
土地に5000本の苗を植えますが、ハリケーンで壊滅してしまったそうです。
ホノルルに出てからは、菓子店を買い取り、試行錯誤の末、
現在のマカデミア・ナッツチョコレートを開発し、1960年に
ハワイアン・ホースト・インクを設立しました。。
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この他にも、アロハシャツやポテトチップといった日系人が
苦難を跳ね除けながらも創り上げた商品、文化に関する展示が
特別にされていますので、ご興味のおありになります方は
ぜひ、ご覧になられてみて下さい。

計り知れない犠牲を払いながら歩まれてこられたハワイの日系人の
方々の歴史を振り返ると、私たちが現在、ハワイで自由に楽しく
リゾート気分を味わえるのも、彼らのお蔭あってこそなのだ・・と
改めて思いました。
しばらく私はハワイへは行っておりませんが、また行きたいものです。

メールアドレス  salonderoses2@excite.co.jp
by salonderoses2 | 2012-08-24 09:21 | 美術鑑賞